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2009年5月

2009年5月30日 (土)

山と自然と修験道☆

毎日起こることが多すぎると、逆に日記って書かなくなるもので・・・。

その間、御心配のメールや生存確認(笑)メールを頂き、

おっといかん!と更新復帰☆心配掛けてごめんね。

・・・さて、
みなさんはゴールデンウィークはどんな風に過ごしていましたか?

私は・・・ゴールデンウィークは・・・

修験者やってました。

これが本当なので、びっくり。

Nec_0543

もともと、前に行った旅行中、バスの中で知り合った方に

「5月にまたお祭りがあるよ」と教えてもらったんですが、

その人の連絡先を無くしてしまい、それっきり忘れてました。

それが直前になって、

妹が急に「行きたい!!」と言い出したのです。

私は2月に行ったばかりだし、連絡先無いし、

ネットにも一切情報出てない、って言ってたし、

ちょうどそのあたりで、ある資格検定もあり、

どうしよう・・・と思っていたんですが、

・・・ま、いっか。

急に行きたい!!って妹が私に言うってことは
『来い!!』と何かが言っているのかもしれない。

どうせ私のスケジュール帳は上↑だし、

細かいことは調整してくれるだろ。

じゃ、行くか!!・・・と、行動開始。

とりあえず、うろ覚えで聞いた、漢字も分からないお山の名前と、

そこは宿坊があって泊まれるようになっている、

というその人からの情報だけを頼りに、

観光案内に電話をかけると・・・

「いや~、そこに泊まれるかどうかは分かりませんねぇ。

お山の電話番号なら分かりますが・・・」

・・・山に電話番号なんてあったのか!?(@@;)

と驚きつつ、ネットで調べてみると。。。

とある掲示板にたどり着きました。

すると、その山と関係の深い「○○先生」という人が

「私の名前を出すと分かります」

と初めて参拝者にアドバイスしているよう・・・。。

その人は、2~3日前にたまたま体験で行った、

ヨガの先生と同じ名前だったので、

あの人だ~♪と思って、そのお山に電話をかけました。

「あの~山開きの神事に参加したいので、

宿坊に宿泊したいのですが・・・そちらは泊まれるんですよね?」

「・・・はい・・・泊まれますが・・・。あの、・・・どちらの方ですか?」

「あ、私ですか?え~と、東京の○○です。」

「いえ・・・、そうじゃなくて、・・・どちらの先生の方ですか?」

・・・・え? どちらの先生のかた・・・???

そこで初めて、いぶかしむような、

いちげんさんお断り的な空気を感じ。

・・・あれれ?誰でも泊まれる所じゃないんだ?とぐるぐる考えつつ、

「あ?え、え~と、○○先生・・・です!」

と、とりあえず例の先生の名前を言うと、

「ああ!!○○先生!?

そうですか~○○先生の・・・

○○先生なら3日に納経にいらっしゃいますよ~。

でもね~、2日はもういっぱいなんですよ~。

3日なら大丈夫なんですが・・・」

と、急に柔らかい雰囲気に・・・。

後で分かったんですが、

○○先生は私の大勘違いで、全然別の人でした(^^;)

そんなわけで、2日目は、

おそらく一般人は泊まれないであろう宿坊に、

泊まることになったのでした。

とりあえず分からないことだらけの一日目。

その「お山」の麓の寺社に向かい、

本堂へ続く階段をテクテク登っていくと…

「あらっ!?来たんやね~~!♪」

「ああ~~~っ!?」

なんとバッタリ☆階段のてっぺんで、前回バスの人と遭遇!!

・・・きたきたきた・・・のっけから・・・!

面白いなあ、もう。

前回、偶然バスの中で気が合って友達になって少し会話し、

住所も電話番号も分からなくなって、

また会えるかどうかも微妙だった人でした。

・・・着いたとたんに無事再会。

「すごくいい時に来たね~。これは一回しかないお祭りだから。」

と、とても親切に手取り足取り、お祭りの流れやスケジュールなど、

ちんぷんかんぷんで誰かに聞こうと思っていたことを、

すべて教えて頂きました。

しかもその方は、

「恵方巻なんかを作りに時々来る」と言っていたので、

お祭りのときだけ手伝いに来る、

近くに住んでる一般の方かと思っていたんですが・・・

社務所の方曰く

「◇◇先生はここの主(ヌシ)ですから!(笑)」

どうやらその方は◇◇“先生”とも呼ばれている、

神様から名前も頂いてるという、

15~6年以上もそこの道場で修行をした『修験者』の女性でした。

修験者・・・って意外と知らない人がいるみたいですが、

山の中で厳しい修行をする修験道の行者で、山伏、とも言います。

ゴールデンウィークはどこかで、自然のパワーの強い場所にいって

自分の中でのつながりを深めたいなと思ってたんですが、

こういう方向になるとは思いもよりませんでした。

白衣を支給してもらい、夕方の納経に参加しました。

すると前回、キーワードのように何度も何度も名前を聞いていた、

作家の○○さんが私の隣に座りました。

会う気はしてたけど、ここで会うとは…!

般若心経や真言は子供のころから暗唱しているので

なんとかついていきましたが、みんなで大合唱しているうち、

一人で瞑想しているときに近いような、不思議な感覚になりました。

終わった後、カバンに入れていたほうじ茶を飲んだら・・・

えっ・・・!?あ、甘い・・・。

あのほうじ茶独特の渋味が消え、

甘い砂糖水みたいになっててびっくり。

短時間で腐ったのか?と一瞬思ったほど(^^;)

まあ、水って音のエネルギーで味変わるからね。

メインだったのは3日の戸開けの儀式。

いったん宿に戻って休み。

次の日は明け方4時から儀式と聞いていたので、

少なくとも3時には起きてないと間に合わない。

なのでその日は妹と

「今日は寝ずにそのまま行こうね」ということに。

どんなことをするのか、何をするのかよく分からないまま、

白衣を着て、体に塩をまぶし、いざ、山へ。

「この山には1度もテレビカメラが入ったことないんよ。

このお山を開いた人が『そんなことしたら神様がいなくなる』って

絶対許可しないの。」とのこと。

まさか登山することになるとは思わなかったけど、

まだ暗い山道を登っているうち、

あれ?なんかこの感覚、身覚えが・・・

なんだか登り方を、疲れない身の運び方、呼吸を知っているような

何度も繰り返したことを、思いだしているような

奇妙な感じになりました。

なんか妙にうれしくて、楽しくて、

わ~い!わ~い!懐かし~!

こんなことしていた事あるのかも・・・

と、飛ぶように登っているうち、

いつの間にか妹と距離が開いてはるか上の方に。

登山って人生にも似てるな、と思いました。

楽な時もあり、苦しい時もある。

一緒にスタートしても、人それぞれ全然ペースが違う。

無理して人のペースに追いつこうと頑張ったり、

逆に自分は行きたいのに人にペースをそろえていると、

自分のバランスが崩れて、すぐに息が上がってしまう。

自分には自分のエネルギーの配分があり、

楽に進んでいける呼吸がある。

人と全く同じな訳がない。

そして一足一足、運ぶごとに、

山と、自然と、大地と、会話している感覚が。

一歩ごとに踏みしめて、

体全体で大気とコミュニケーションしているような、

まるで、意志をもつ、大きな生命体の中に

お邪魔させてもらってるような

・・・不思議な交流。

何かに慈しまれ、見守られているような、感覚。

とにかくゼェゼェハァハァ言いつつも体が止まらず、

ただただ、足を運び、

つぎつぎ先達たちを追い抜いて登って行くうち、

呼吸とは反対に、心の中がどんどん静かになって、

頭の中に何もなくなって、真っ白に。。。

これか。

だから、人は山に登るのか、と思いました。

雑念が沸いてきて集中できない人も、

登ってるうち、体が疲れ、

呼吸のみを繰り返すうちに

考えすら浮かばなくなる。

そうすると、エネルギーを、そのまんま、

いっぱいに受け取るしかなくなる。

もうブロックするものはない。

苦行の意味って、そういうことなのか・・・。

一歩一歩の苦しさが、逆に頭の中を浄化していく。

想いだけでそこに行くことが難しいなら、

体ごと、体験させる。

あらためて、

色んな方法がそれぞれの世界に用意されているのを感じました。

結局、どこから入っても、正反対に見えても、

極めれば・・・同じものに繋がっていくんだよね。

最終的に頂上の竪穴洞窟・・・天然でできた鍾乳洞の、

数十メートルの暗い縦穴の中を、金属の梯子を登って上に上がり、

これも天然で出来た仏像のある上の洞窟に、

手と足の力で登っていきました。

蝋燭の光だけで、外気より5度くらい低い縦穴を白い息を吐きながら

冷たく湿るハシゴを掴んで上がっていくので

はじめは少し怖かった・・・。

上も下も真っ暗で手を離したら真っ逆さま。でも、

「六根清浄~、六根清浄~」

と上下で歌っているのを聞いているうちに、

見えなくて高くて怖いけど、上に先に登って行ってる人がいる…

下からも、みんな、続いて来てるんだよね。

声はずっと続いてる・・・

いうことは、自分も普通に登れるということだ。大丈夫・・・!

という気持ちになり、

「ろ~っこ~んしょ~うじょう♪」

と歌って、最後まで登り切ることが出来ました。

上で修験者の男の方がぐいっと引き上げてくれて

見上げると、本当に自然の大洞窟・・・。

まさに仏像の形に現れていて怖いくらいでした。

ぽちゃぽちゃ上から落ちてくるお水は神様のお水、と言っていて

ペットボトルに溜めている人もいました。

仏像は丸い地球を手に持っているようでした。

上の方には全国の神様が集まって会議をする空間があるとか。

そこでまた祝詞をあげ、納経を終え、儀式は終了。

縦穴を降り、妹と山々が見渡せるところに降りたとき、

ちょうど朝日が山の間からのぼっているところでした。 

Nec_0562_7その景色を見たとき・・・・

あまりにも美しくて、そのまま見入ってしまいました。

なんて・・・どっしりとして、大きいんだろう

なんて静かで、偉大なんだろう・・・

こんなに神秘的なものが、

当たり前に近くにあるのが不思議で・・・

山って、神様なんだ・・・と思いました。

こんなにも私たちと周波数が違うものが、

普通に私たちの生活に寄り添ってくれている・・・

山が、優しい・・・!!

この景色は、昔のまま、何一つ変わってない。

山にとっては、人間たちが自分の体を、蟻みたいに
上がったり降りたりしているようなもの。

そんな私たちをまるごと受け入れて、

昔からず~っと見守り、包み込んでいるような、

何かとてつもない慈愛を感じて、

自然に涙が流れてきました。

山岳宗教っていうけど・・・

山に登る、ということは、

「神様の体の中に入る」、ということなんだ。

山に入ることで、神と一体化するという意味なんだ。。。

降りていくおばさんたちの雑談が聞こえる中、

その全く違うものが、同じ次元にあることが

本当に不思議だった。

Nec_0561

きっと、人間の方も昔から山を、自然を、敬ってきた。

これが本来の、昔からの、人と自然の関係なのだろう。

お互い尊重しあい、慈しみ合う。

1度もTVカメラが入ったことのないこの景色は
ここに来ないと見られない、感じられない力がある。

TVはとても便利だけど、映し出すものは表面でしかない。

切り取られた画面を見て分かった気持になっても

 それは本質ではない。

人間関係同士のつながりも、そうだと思う。

すべてを情報や映像で判断することはできない。

昔の方が良かったというつもりはないけど、

昔は情報がない分、

感じる、という力を使っていたんじゃないかと思う。

例えば、今、この場所に立ってたら、山の向こう側は見えない。

歩いて行くまで向こうに何があるのか、

何が待ち受けているのか分からない。

どんな景色があるのか、

どんな動物と会うのか、

どんな人間と会うのか分からないから、

研ぎ澄まし、感じながら進んでいく。

だから出会った時に、感動がある。

ここにカメラを入れない、というのも

『映せるものではない』というか、

そのものの価値・・・というかエネルギーを、

小さな画面に矮小化して伝えてほしくない、ということなのだろう。

自然や偉大なものへの敬意だと思う。

分からないものに対して人間は、判断ではなく、感じようとする。

・・・だから、自然に謙虚になる。

自分で感じながら、踏みしめて歩いて行くから、

すべてが新鮮になるのだ。

あ、この人はこういうタイプね、

カテゴリで言うとこういう系ね、っていうんじゃなくて、

(この人からは一体どんなものが出てくるんだろう?

・・・分からない・・・でも、「楽しみ」・・・)

(この人の窓からは一体どんな景色が、
どんな真実が見えるんだろう?「楽しみ」・・・)

そんな風に、「尊重」する気持ち。

自然と同じように、感じながら、

知らない部分を知りたいと思いながら接する喜び。

その方が結局、楽しいよね。

上から見たり、表面だけ見て、全部分かっているつもりになると、

「直感」は働かなくなる。

必要ないから。

・・・分からない部分に直感が働く。

全部分かってる!と思うと、直感は働かない。

そして、「頭で理解した事」より、

「感じた事」が一番正しい。

その人にしかできない経験がある。

実地で確かめて体験するために生まれてきているのであって、

知識やデータで処理できてしまうなら、

人間の尊厳も、何もない。

この、昔から続いている、人間と自然の繋がりを思い出したら、

誰も、不安になったり、バランスを崩したりしないのに・・・

と、思いました。

こんなにも大きな世界に見守られて、私たちは生きている。

山を降り、その日は例の『宿坊』に泊まりました。

すると、なんと、そこに泊まっているのは全員修験者。

・・・これは普通は泊まれないわ(^^;)

そしてその方々と同室の6人部屋で、次の日も朝4時頃から起床。

周りの気配に目が覚めたら、ほとんどみんないなくなってて

「他の方々はもうとっくに行かれましたよ」と、ご年配の方。

ひええ~っ!とばたばた着替える私たち・・・☆

5時前からそれぞれ本堂や地蔵祠をお掃除して、やりたい人は水行をして、
朝6時の朝の納経に集まり、そのあと朝食なのだとか。

修験道ってすごい・・・(**)

誰も知らないところで、色んな人が、それぞれの道に励んでいる。

ストイックに、自分の中の真実を見つめて生きている。

厳しいけど、だからこそ、とても優しい。

自分の中の楽しみだけを求める、無責任な明るさではなく、

すべてを見つめて、引き受けて、自分の意志で、

明るさを「選択」する。

筋金入りの、絶対に揺らがない明るさ。信頼できる強さ。安定感。

陰陽は表裏一体。

陽を知るために陰がある。

どちらも必要。

ひとたび分かったら、苦しみ続ける必要もない。

何かがわかる、その一瞬のために、

私たちは色んな体験をしていくのだろう。

陰でも陽でも、どっちみち進化する。

だから、意地でも能天気。

なんだか修験道に共通するものを感じて、

嬉しくなったゴールデンウィークでした。

※ちなみに上の写真はすべて撮っても良い場所のものです。

6月1日に色々お知らせがあります!!

まずは、「絵本発行のお知らせ」詳細と、

間に合えばもう一つ・・・???

お楽しみに♪

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