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2010年12月 6日 (月)

生きているということ。

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先日、谷川俊太郎さんとお会いしました。

詩を書いている人、言葉に興味がある人12人~15人が集まっての

小さなお食事&お話会でした。

谷川さんの詩との出会いは、小学生の時。

私は昔から

「言葉は感覚を超えることはできない」と思っていました。

いくら、気持ちを言葉で表わそうと思っても、

心の中をありのままに再現することは、難しい。

親であっても、親友であっても、

どんなに近い間柄であっても、

自分の想いをそのまま、100%伝えるのは不可能だ。

あふれてくる想いを言葉に翻訳するうちに、

薄まってしまったり、意味が少し変わってもどかしい。

言葉は感覚を伝えるための「翻訳の道具」で、

とても、キメが粗くできている。

感覚が「写真」なら、言葉は「ドット」のよう・・・。

だからこそ、絵画や音の世界のように、見たまま、聞こえるまんま、

ダイレクトに伝わる、嘘の入り込まない世界に行きたかった。

でも、

小学生の時、教科書に載っていた谷川さんの

「生きる」という詩を読んだ時、

言葉から、有機的なものを感じた。

全体の流れからやってくるイメージというか「想いの飛来」が、

初めて感じられた…という経験がありました。

本人に会ってみて、なぜだか分かった。

谷川さん自身が、子供の視点ですべてを見ている人なのでした。

大人が難しい言葉を使って、形をまとめようとするのではなく、

複雑なたくさんの「言葉」という表現ツールを手に入れつつ、

それにとらわれず、

子供と同じように、「感覚」の中で遊び、

イメージと戯れ、極限まで削ぎおとし、

突発的にやってくるインスピレーションに身を任せて書いていた。

だから、共感できたんだろうな・・・と思いました。

子供のころ、ふと道端の石ころを見つめて、

「この石はいったいどこからやってきたんだろう?

最初はどこにいたんだろう?」

と真剣に想いをはせて、何時間も考えたことがあった。

たとえば、目の前にコップがある。

そのコップはどうやってここに来たか。

どんな思いでここにいるか。

そんなふうに色んなものを、

世界を見ることを、

谷川さんは、「ポエムアイ」と呼びました。

水木さんでいうと「妖怪アンテナ」みたいなものかな?

水木さんは、子供の頃の孤独感を癒してくれた人。

同じように見えない世界を見て、感じている「大人」が

ちゃんといるんだ…とすごくホッとした。

世界は子供の開かれたままの感覚で生きることを許してくれない。

大人になるということは「歯車」に組み込まれるということ。

「歯車」は意思を持ってはいけない・・・

楽しくなくても笑い、嬉しくなくても喜んだふりをする。

裏表のある「大人」を子供の目で見たとき、

大人になるっていうのは自分の気持ちに嘘をつくことなんだろうか?

だったら、大人になんかなりたくない、と思っていたことがありました。

じゃあどうすれば・・・?と考えているうち、

いや、方法はあるんじゃない?

と思うようになった。

私は、楽しむために生まれてきた。

そのことは絶対に分かっていて、確かなことだ。

この、無限にあふれるような「幸せ」の感覚。

瑞々しいインスピレーション。

ずっとこの中で遊んでいていいはずだ。

べつに社会が自分と違う形に出来ていたっていいじゃないか。

自分がこの「感覚」のまま

なんのてらいもなく、

自由であることを「楽しんで」生きればいい。

自分が見る世界が、宇宙のすべてだ。

そうだ。

私は「子供」のまま「大人」になろう。

子供の時のまま、

見えない世界を家族のように身近に感じ、

自分なりのやり方で、それらを愛していこう。

私はこのまま変わらないと誓った。

そして開き直った。

自分が分かっていればいい。

外からどう見えてもいい。

別に「変」でいい。

そう思えたきっかけの一つが、

そんな「変」な大人たちがいてくれた事のような気がします。

自分の中の子供のままの部分を抑圧せずに自由に遊ばせると、

何かが開いていく。

すべて余計なものを取り去った後に残るのが、魂。

向こうには何にも持っていけない。

お金も、地位も、名誉も。

物質も、この世での名前もすべて。

ただ、自分の本当の魂の形として、いかに輝いたか。

いかにその形を遮らないで、追求したか。

谷川俊太郎さんも、水木しげるさんも、

以前会ったヒューレン博士も、サティシュ・クマールさんも、

何故か好きな人はみんな、同じ眼の輝きをしている。

赤ちゃんみたいな眼。

何もない、すべてが一つの世界にいるときは、心地よい。

でも、それだけでは、世界は変わらない。

苦しくても、そこから離れ、

複雑で荒い世界の粒子を、一度すべて中に受け入れ、

そしてより細かくして、再び世界に吐き出す。

人は皆、それぞれ自分の内側の世界を、

何らかの形にする衝動をもって生まれてきている気がする。

見えない世界を、見える世界に引っ張ってくる。

そして、荒かった粒子が、だんだん細かくなってゆく。

それぞれの役割、働きによって。

世界が大きく呼吸し、鼓動している。

無形の世界が現実と融合していく。

だんだん、テレパシーのように、

必要なものが繋がり始める。

より、シンプルに、

もっとありのままに、

自分の中の「子供」を、遊ばせてやりたいと思う。

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みんなで歌った谷川さんのバースデーソング。

ケーキがとっても美味しかったです。

丹波さんも変な大人だったなあ(笑)

「ぼくはこうやって詩を書いてきた 谷川俊太郎、詩と人生を語る」  

谷川 俊太郎 (著), 山田 馨 (著), 川口 恵子 (編集)

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スピリチュアル」カテゴリの記事

コメント

すごいですね、子供の頃教科書に出ていた人と実際にお話したり、その世界観を直に感じる機会があるなんて。
今後の仕事に活かして、更に活躍の場を広げて下さい。(^^♪

投稿: aisingu | 2010年12月 6日 (月) 02時49分

お久しぶりです。
確かに想いを言葉にするのは難しいですね。一旦想いを言葉にしてしまえば、翻訳という作業のプロセスでフィルターを通してしまい、本当に伝えたい想いと違うってことは多いですからね。だからといって自分の思ったことをありのままに話してしまうと相手を傷付けてしまう事だってありますし。そう考えれば世界って嘘だらけな感じですね。
大本さんには失礼かもしれませんが大本さんに不思議と共感できます。私も自分は変だと思いますし嘘は苦手です。もし嘘の入り込まない世界があるならぜひとも行ってみたいですね。

投稿: Lin | 2010年12月 6日 (月) 10時33分

言葉で100%伝えるというのは不可能なこと。言葉を聞いてそれを各々の記憶にあるものに変換する。その記憶にあるものが違えば
伝わらないし、違って当たり前。だから記憶にあるものではなく
五感やそれ以外の感覚で感じたものを伝えたい、受け取りたい。
そうすれば言葉なんてなくても繋げることが出来ますもんね。
っと、長々書いておきながら言葉で伝えることの難しさを実感中。

私事ですが先日、出雲大社に行ってまいりました。
「平成の大遷宮」で本殿に参ることができませんでしたが
とても素晴らしい感覚をえることができました。

投稿: なお | 2010年12月 6日 (月) 13時44分

最近「ARIA」というアニメをみているのですが、その主人公の女の子と大本さんが感覚的に“似ている”と感じています。それは二人とも「赤ちゃんみたいな眼」で世界をみているからなのかな?
「赤ちゃんみたいな眼」自分も持っていると思いたいです。

投稿: 間山 | 2010年12月 6日 (月) 17時52分

谷川さんと言えば、俺も小さい頃に鮮烈な印象を覚えました。うちの伯母が小学校の先生で、授業で使うらしきテープ(CDじゃないよw 当時は現役w)をよく車の中で聴いていました。谷川さんご自身が朗読されているのもあったんじゃないかな…。言葉以上のものが伝わってきてたってのは、すんごい分かります。放たれた言葉たちがすんごい輝いてたってのも、すんごい覚えてます(笑)

投稿: エフ・メイカー | 2010年12月 6日 (月) 18時57分

連投すみません!!次回のダンガンラジオ、大本さんゲストなのですね~うぷぷぅ(ニヤニヤ) http://www.animate.tv/radio/details.php?id=danganronpa

…あと、YouTubeにて「コレクター・ユイ」配信! http://www.youtube.com/user/NEPYOU#g/c/BF7CF437E98577FA

…見ないとゴミ箱p(以外自粛)

投稿: エフ・メイカー | 2010年12月 6日 (月) 19時37分

感覚から言葉へってのに「翻訳」って表現をするあたりにものすっごく共感します。
英語が好きなので自分で適当に翻訳とかやってみたりするんですけど、どうしても日本語に合わない表現とかがあって、オリジナルの英語ならわかるのに、日本語にすると違和感が出てくる。ってことがよくあって、
これって感覚と言葉の関係に似てるなぁ、って前から思ってますた。


スラングばっかりなんだけどね(´・ω・`)

投稿: brother | 2010年12月 6日 (月) 21時38分

谷川さん、懐かしいですねぇ。昔、中学校の社会の教科書の見開きに【朝のリレー】という詩が載っていて授業があるたびに読んでいたのを覚えています。「カムチャツカの若者が・・・」って言うフレーズが今も忘れられないです。

言葉を言葉として紙面に書かれたというより、降ってくるイメージが自然と頭の中にあるスクリーンに投影されて、そこに言葉とが抱き合わせで進んでいくような印象を受けます。これが魂のこもった言葉として凝縮したものだと僕は考えます。面白い上に、深い話ですねぇ。

また、「子供でいたい」に深く共感しました。大人になってしまうと目に映るものをそのまま受け止めるようになって世界を見る目がなくなります。例えば、僕の場合だと子供のころに意味もなく押入れや屋根裏に入ったりするのが楽しかったのに、今は当然入ろうとは思わなくなってます。「大人」になると損得で考えるようになってしまうからでしょうか?現実に慣れ切ったことからくる無意識の偏見からでしょうか?それとも遊びの想像力が失われるからでしょうか?いずれにしても、なんとなくさみしいですよね(--;

だからこそ自分が楽しいほうに向かうベクトル一直線がいいんだよね▼o・~・o▼

投稿: はるっち | 2010年12月 7日 (火) 00時16分

私も中学生のころに谷川俊太郎さんの詩に出会いました。谷川さんとお話できるとは、大本さんはすごい方ですね。

私は子供のころから嘘をつくのが苦手でした。思ったことをそのまま口にして人を傷つけたことも多いです。そのため、友達は高校のころにはほとんどいなくなってしまいました。
いつかは「子供」ではなく「大人」になならなければならないと強く思っていました。
でも、大本さんは「子供」のまま「大人」になっています。私は大本さんの言葉をうまく理解できないこともありますけど、大本さんの「自由」を大切にする生き方を少しでも見習わせていただきたいです。

投稿: | 2010年12月 7日 (火) 00時38分

すいません、名前を入力するのを忘れて投稿してしまいました。上の投稿はふみたが行いました。
申し訳ございませんでした。

投稿: ふみた | 2010年12月 7日 (火) 00時44分

生きてる実感を感じさせてくれるような 言葉みたいな、

投稿: サムナ | 2010年12月 7日 (火) 23時29分

子供の時は楽しくて 自由な感じだった、 あの頃は良かった、大人になると、昔みたいに楽しくは遊べない、それでも充実した楽しい遊びをしてみたい

投稿: レクス | 2010年12月 7日 (火) 23時39分

初めまして。
久しぶりにコレクター・ユイを目にする機会があって、ここに辿り着きました。

谷川さんの詩は私も好きです。
特にコーヒーのCMで使われていた「朝のリレー」。
もう一度、谷川さんの詩集を読んでみたくなりました。

それから、大本さんのことば。共感しました。今、私は他人から見られている自分と私が思う自分とのギャップに悩んでいたので・・・私も変わってるんです。

でも、変に思われても、自分の純粋な部分は無くしたくないと思います。大本さんのことばで改めてそう思いました。ありがとうございます。長文失礼いたしました。

投稿: 有香 | 2011年1月30日 (日) 15時22分

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