スピリチュアル

進化のテレパシー

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この世界には色んな分野があり、色んな役目がある。

伝え方にも色んな方法や形がある。

私は・・・

真実を「言葉」で伝えて、力強く説得することじゃない。

真実を「事実」で証明して、古い固定概念を打ち崩すことでもない。

誰かから最初から、答えを「受け取る」んじゃなく、

みんな本当は知っている「答え」を、

自分の中で、

静かになって・・・

内側から感じとるための、

一つの「空間」「実感」でありたい。

教わらなくても、みんな知っている。

答えは外側にはない。

『答え』・・・『実感』は、内側にしかない。

そして「実感」・・・、というのはテレパシーのように人に伝わる。

感覚は嘘をつかない。

言葉の魔術も介入できない。

それはただ「感じる」ことだから。

そして、その感覚こそが、

すべての知識、すべての科学、すべての言葉を超えて、

真実を見分ける、一番、正確なセンサーだと思う。

すべての生命は光に向かって伸びていく。

本当に心地よい、と感じる感覚を追っていけばいい。

もう、実は新しい世界の中に、私たちは生きている。

本当に自由で、解放された、安全で安心できる世界。

それそれの特質が一番輝く場所で役目を果たし、

上下も争いもなく、尊重し合い、発見しながら、楽しみながら、

新しいものをみんなで創り出していく世界。

そうだと思えば、 もう、 そうなのだ。

私たちは楽しむために、

上昇するために、生まれてきた。

インスピレーションや直感でアイディアを受け取り、

頭で方法を考え、肉体で現実世界に実行する。

陰 と 陽。

この素晴らしいバランスで、私たちは何でもできる。

一人楽しくても仕方がない。

楽しいようで、いつか楽しくなくなる。

本当の安心は、一人残らず安心したとき、訪れる。

もう戦わなくていい。

そのエネルギーを、上に向かう力に向けていこう。

いつも楽しみ、実感していたい。

みんなで、一緒に。

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白山七宮巡り

怪し会(初日)の前日・・・

私は金沢にいました。

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今年は1月に行った出雲大社に始まり、

天川2回に岩戸神社、蛇之倉、高千穂、戸隠神社、諏訪大社、

そして指宿の日食と、初めて行く場所や神社・知らない寺院あわせたら

何十というものすごい数を巡礼してる(させられてる?)感じです。

なぜか、そんな流れになって、行くことに・・・

が毎回のきっかけ。

人に急に旅行に誘われたら神社巡りだったり、

なぜか何の知識もないのに、ある土地の名前が

繰り返し頭をよぎったり・・・。

でも、そんなキーワードがよぎる時は決まって何かあるので、

最近は何も考えず、はいは~い・・・と従って出かけてました。

別に私は神社巡りが好きなわけでも、

パワースポット巡りが大好きなわけでもありません。

時が来て、タイミングが合って、そこに行かないと、

何も起こらないと思うからです。

最近、よく頭に浮かぶキーワードは、

「白山」 でした。

何があるのか、どんな神様がいるのか、

山なのか、神社なのかも全然知らないまま、

そんな土地があることだけは知っていて、

(あー、次はここに行くんだろうな・・・。いつ行くんだろう?)

と漠然と思っていました。

そんなとき、ある集まりがあって、その中の一人が言った言葉。

「そういえば、今度白山に登るんですよ。」

来たーーーっ!! 

・・・これだ・・・。

「あ、私も行きます(笑)」

登山日程はなんと怪し会本番前日。

普通なら喉の調子やコンディションを整えるために

前日登山なんてありえないんですが、

まあ、なんとかなるだろ・・・と、

初めての東北新幹線に乗って、金沢へ向かいました。

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しかし、登山は残念ながら、モロモロの理由があって中止★

そのかわり、金沢の地元の方しか知らないという「7宮巡り」を

案内してもらうことに。。。

しかも偶然、次の日の2009年9月9日9時9分に

白山ヒメ神社の菊理(ククリ)姫の儀式があることを現地で知り、

早起きして参加することになりました。

その早朝、迎えに来てくれた現地の方の車に乗って

会話していた時のこと。

私:「兼六園って、日本3大庭園の一つですよね~。

まだ見たことないんですよ。地元が岡山なので

後楽園ならいつも見てるんですが・・・」

「へえ~岡山なんですか。私も今、岡山の方と仕事してるんですよ。

昔は岡山のブライダルの会社とお仕事してたこともあって・・・」

私:「あ、そうなんですか?

うちも昔から、実家がブライダルやってますよ。

どこだろ?聞いたらわかると思うんですけど・・・?」

「かなり昔から結構やってる所なんですが・・・

・・・あの、・・・すいません。ちなみにお店の名前・・・何ですか?」

私:「え?ウチですか? ○○ です。」

∑「うあーーーーーーーー!!!!!!!!」

私:「え?え?」

「 ・・・・・・・ お父さんとお母さん、知ってます。」

私:「ええーーーーーーーーー!!!?!?!?!?」

生まれて初めて来た金沢で、

旅行メンバーの繋がりで会った、初対面の人が

親の仕事の、昔の顔見知り。 ・・・しかも、

「きゃーーー!そういえば見覚えが・・・!」

「そうだ!いた!確かにご両親と!」

子供のころ、よく出張で両親に連れられて

衣装を見に行った時、何度か見ていたお顔でした!

その方のお仕事と、実家の新店舗のコンセプトが一致して、

新しいコラボ案が持ち上がったり、

他にも色々な方面からそれぞれの引き合わせが・・・。

思いがけない方向から、私がまさにやりたかった方向の

依頼があったり・・・。

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菊理ヒメはあの世とこの世を結ぶという神様。

そして、人と人。使命と使命をククリ、

縁も結びつけているのかもしれない。

時が来ると、そこに「呼ばれ」、繋がっていく・・・。

きっと、「そこ」にパワーがあるんじゃなく、

必要だから、タイミングが来たから、

何かのゲート・門のように、その地を踏み、そこをくぐるんだ。

まるで「儀式」のように。

安心の定義。 豊かさの意味。

「力」の意味や、 「仕事」の意味も、

これから変わっていく。

今まで通りの考え方にしがみついて信じていたら、

どんどんズレが生じてくるかもしれない。

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有名な「仏陀の掛け軸」が飾ってあるお寺にも行きました。

それを見たとき、ふと「自分の使命」が頭をよぎりました。

はっと我に返り、あいまいな部分がクリアになるようにも感じました。

後で聞くと、その絵は

「仏陀が修行を終え、下山したばかりの姿」

を描いたものでした。 

ガリガリに痩せて、目ばかりギョロギョロしている、一見怖い絵。

体を極限まで追い詰め、弱りきって・・・

ここまでして真摯に求めた行為には、何の意味も、答えもなかった。

でも、ここで初めて、自分の使命に目覚めた仏陀の心の中は

「真実の実感」を知った喜びに満ちているのだろう。

この絵を描いた人は、そんな仏陀に心を合わせて描いた。

・・・だからか。だからこの絵は、

見る人に、自分の本当の使命を思い出させるのかもしれない。

「今進んでいる道は、本当の自分の、魂からの望みなのか?」

誰でも問いかけてみる必要があると思う。

手段にとらわれていたり、人の影響や思い込みで、

最初の思いを複雑にしていることもある。

・・・本当の望みは、対象や評価を必要としない。

成功・失敗は関係ない。

自然で、軽やかで、ワクワクするビジョンが広がる。

次から次へと欲しくなるものではなく、

穏やかで静かで、尽きないエネルギーが湧いてくるはず。

ちなみにこの仏陀の絵は、「じっと見ていると目や口が動く」

ということで有名になったそうです。

確かに動くけど、そんなことより、

仏陀が使命に目覚めたその瞬間の感覚・・・

というか、喜びが伝わってきて、涙が出ました。

そしてそこまでストイックに答えを求めた仏陀の

純粋さ、真剣さはとても参考になる。

同じようにお手本を示したイエス・キリストも。

昔から宗教関係なく大好きで、兄みたいに感じる。

イエスも仏陀も、人間として最高の形、

天の光を見事に投影した、それぞれの国のそれぞれの器。

今度は私たちがそれぞれの器になる。

あの時代の彼らよりは、ずっとずっと易しいこと。

時代が変わり、時間が変わり、地球が変わろうとする今、

もう一度シンプルに戻って、

沸き起こってくる実感を信じてみればいい。

外からではなく内側からのみ、

自分だけの、本当の答えが見つかる。

それぞれ「繋がって」るから、私たちはここにいるんだから。

色んな繋がりや気付き・思いがけない御縁に

結ばれ、菊理姫にくくられた、金沢・白山旅行でした。

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・・・昨日の満月、

綺麗でしたね♪

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宇宙の子供

世の中に「本当に悪い人」っていうのは、いない。

本当は誰も、悪くない。

こんなことを書くと、

「泥棒や詐欺師は悪人ではないのか?

裏切りや傲慢、不義理を働くことは悪ではないのか?」

普通なら、そんな意見が嵐のように返ってきそうだ。

たしかに薄情な人や、心ない人はいる。

エゴが肥大して、人を悲しませても気付かない人もいる。

なんでも自分の支配下におきたがる人もいる。

ひどい、信じられない…

そんな風に見はじめたら、もうキリがない。

表面に表れている悪や、悪い所に集中すればするほど、

どんどん腹は立ち、やり切れなくなるだろう。

でも…

忘れがちなのは、

そんな人達に「恐怖」がある、という事だ。

怖いから、守る。

行き過ぎた「防御本能」は、

「攻撃性」や「支配欲」に変わる。

「ありのまま、そのままでいても安全なのだ」

ということを、信じられない。

意味があって、忘れている。

それぞれが、それぞれの場所で一生懸命考え、

精一杯自分の役割を演じるために。

そうすることで世界に、

色んな刺激や、新しい気付きを、無意識に提供しているのだろう。

生まれたままの、純粋・無垢な、柔らかい部分は、

すべての人が持っている。

今でも、ずっと。

だってみんな元々は、

大きな一つの、

無垢で純粋な、

美しく、暖かいものから生じ、

細かく分かれ、

永遠に循環しているのだから。

…そうは言っても、

身近な人や友達、日常の中に、腹が立つことや、

許せないことはあるかもしれない。

ただ、少し違った見方で人を見ることはできる。

…自分の中にも恐怖があるかもしれない。

傷つけられるのを恐れて周りを見たとき…

自分の内側の声を信じず、

「常識」や「言葉の意味」

「感情」だけで受けとったとき…

もう自分は、「恐怖」という色メガネをかけて、世界を見ている。

自分を信じて自分の道を前へ進むのは大切だけど、

自分の「常識」で人を見た瞬間、

それは「偏見」になってしまう。

「自分の中の大切な部分」と、

「人の大切な部分」は違う。

常識も、価値観も、恐怖を感じる部分も違う。

それこそ、宇宙人を相手にするくらいの気持ちでいるのが

ちょうどいいかもしれない。

行為そのものや、言葉だけで受けとめたり、

「防御本能」で周りを見ると

真実をそのまま見ることはできない。

その人にとっての試練

その人にとっての使命

みんなちがう。

誰もが精一杯、生きている。

私たちにできることは

なるべく自分の恐怖をはずして、

ありのままの状況と現実の中で

その人の「柔らかい部分の心」は、何を思ってそうしたのか?

感情は何を求めたのか?

実際には何が起きていたのか?

「真実」を感じ取ること。

「自分の恐怖の目隠し」を外し、

「相手の恐怖の目隠し」を認識して、

「理解の目」で見ることができれば、一番良い。

いずれにせよ「試練」は

必要な時に、その人に一番、響く形でやってくる。

それを裁くのは別に私たちの役目じゃない。

みんなそれぞれ自分の道を1人で進んでいる。

自分の未熟さも、他人の未熟さも、一番いい形で役割となり、

誰かの試練になり、引いては自分の学びになるのだろう。

ベストなタイミングで出会い、必要なエネルギーの交流をする。

富や権力、お金や名声…そんなオモチャを使ってゲームをしながら、

発見したり、体験していく。。。

きっと、すべての行為は、何かの癒しになり、進化に向かっている。

良いか悪いか。

正しいか間違っているか。

善と悪。

陰と陽。

…きっと「魂」を磨く為に、そんな「概念」がある。

お互い、進化に向かってそれぞれの道を歩む「同志」なのだ。

人を応援の目で見ることができれば、お互いもっと「加速」していく…と思う。

一人だけど、一人じゃない。

見えないところで応援しあい、助け合い、大きなものからも見守られている。

みんな宇宙の子供。

「親しみの目で人を見て、

喜びの目で世界を見て、

楽しみのままに未来を見る。」

私が去年、富士山で受け取った言葉です。

皆さんにもシェア☆

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魂のナビ

みんな、本当にやりたいことや、自分の幸せを、

心の奥では知っている。

とりあえず現実は、決めないと進まないから、

今の時点で一番近いものを選んで進む。

就職や仕事選びも、そうかもしれない。

でも、そうして決めたものが

もしくはずっと目指していたものが、

いつまでも絶対に正しいとは限らない。

その時、その時点では、きっと一番正しいのだ。

それは結果云々ではなく、その方向に進むことで、

その時自分が学ぶべき、最高の経験を得る。

『あれ?ちょっと違うかな?』

『今度はもっと近いかも・・・』

そんなことを繰り返して、

本当にやるべきことや、求めているものに、

自分の居場所や、与えられたセクションに、

近付いて行くんだと思う。

答えは外ではなく、内側にある。

直感が、衝動が、楽しさが、

導いてくれる。

だから、自分の「考え」にさえ、縛られたくはない。

その時々で、成長し、進化し、変化していく自分を

「魂」は、本来の使命に導いてくれる。

挑戦していく先を、試みていく経験を、

どんどん濃い方向へ、行くべき方向へと、

近付けていく。

とりあえず、「決めて」進む。

でも、「執着」はしない。

止まっているようでも、分からなくて悩んでも、

毎日生きてる限り、必ず新しい何かを試している。

毎日誰かと、何かと、交流し、少しでも違うことを考えたり、違う行動をするだけで、実験をし、進んでいる。

そもそも、止まっているか進んでいるか、

失敗か成功か、

そんなのは「頭」が「考える」ことだ。

どうでもいい。


目の前の壁や、開かない扉…。そこには間違いなく、今の自分が拾いあげるべきヒントがある。

そんな悩みの中で何に気付くか?まで含め、計画に入っているのだろう。



みんな最高のナビを、持っている。

魂の奥の「何でも知っている自分」に心を開いて、

内側から響いてくる本当の声を、

いつも「最大音量」で、聞いていたい。

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元気の導線

元気とかパワーっていうのは、誰かに「あげる」ものでも、

誰かから「もらう」ものでもない。

本当は、人から「元気にしてもらう」ことはできないし、

人が人に「エネルギーを与える」事もできない。

人は、自分の中から元気になるのだ。

元気とは、

「思い出すもの」。

「元々」あるもの「気」を「思い出す」だけ。

気付きも、救いも、元気も、

すべてはもともと自分の中にあって、

何かのきっかけで

「思い出す」。

元気な人と会ったとき、自分も元気になるのは、

その人から「元気をもらったん」じゃなくて、

(ああ、そうだった)と、

自分の中の「元気」を、思い出したから。

誰かの言葉で「目覚めた」と思っていても、

自分が、そこまで考え続けたからこそ、気付くことができた。

ずっと問い掛け続けて近づいていたからこそ、答えを見つけた。

遅かれ早かれ「きっかけ」によって気付くとこまで来ていた。

「外」に力は無い。

それは人からだろうと、本だろうと、電車の吊り広告だろうと同じ事。

ほんとは「外」からエネルギーはもらえない。

「外の世界」に直接エネルギーを与えてくれるチューブは、無い。

「自分の中」に、それがある。

それぞれが源のエネルギーとしっかりつながった、

太い導線をもっている。

元気の噴き出し口は、

自分の中にのみ、ある。

ほんとは何かに頼る必要もないし、供給する必要もない。

自分の中に、力が、ある。

力は、自分の中に、ある。

時々、それを忘れてしまうこともある。

物質の世界はまだ荒い。

荒い流れに翻弄されて、

もともとの平和を忘れそうになることもある。

そんな時、いつも忘れずに源の元気と繋がっている、

揺るがない一点でありたいと思う。

エネルギーは、与えるものじゃなくて「伝わるもの」。

上も下も、優劣も、ない。

子供の頃、大好きな神様はどこにいるんだろう?と淋しくなったことがあった。

逢いたいよ…、どこにいるの〜?

確かめたくて、でも会えなくて、悲しくなった時、

突然、分かった。

「この世界は、実は神様の体の中なんだ」

という、直観。

神さまと遠く離れているようで、

実はこんなに近く…

というか、私たちは神様の体の中に住んでいたのだ…。

だから、みんな繋がっている。

だから、お互いの波動もすぐ伝わる。

みんな同じ体の中で生きているから、

細胞の一つ一つだから、

自分が元気になれば、

まわりの細胞も元気になるのだ。

人が人を救ったり、癒すんじゃない。

自分が「元気」でいれば、それは自然に周りに「伝わる」。

押し付けも束縛もしない。

元気のない人に元気になってもらいたかったら、

まず自分が元気でなければいけない。

そして何より、

自分が自分の中心にいて、心から楽しむ。

それだけで、自分が細胞としての役目を果たす。

それだけで勝手にみんな、思い出す。

自然治癒力。自己回復力。

みんな自分の力で元気になってる。

自分で自分を救ってる。

外からではない。

体の中に優劣なんてない。

細胞が細胞に主張なんてしない。

神様の体の中で、

元気の「波動」を伝えられるように、

思い出すきっかけになれるように、

周りに気付かれないように、自然に働く、

「ナチュラルキラー細胞」でありたい。

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時空を超えたシンパシー

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↑富士山のてっぺんデス。

パソコン開く間がなく、やっと更新☆

メールや手紙、プレゼントやバレンタインチョコ、暖かいコメント等

下さった皆々さま、本当に、本当に、ありがとうございました♪

・・・ミンナダイスキ(;-;)/☆

さてさて、あれから私はどうしていたかというと、

直感で天川に行ったあとは、もともと旅行計画のあった下関に行き、

偶然にも建国記念日の数日前、吉田松陰の弟子、

高杉晋作が挙兵した、萩の功山寺に行ってきました。

極寒から、南国へ・・・;

去年、時が満ちたことを感じてフリーになり、

今年、大きく動こうと意志を固めていた私は、

ずっと話し掛けてました。

そして、新しい遊びをスタートする前に、

神様に、ある、お願いをしていました。

「自分の『力』を、確認させてください。

自分に、『現実の中の力』を、感じさせてください。」

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下関からたまたま萩に行き、たまたま通りかかった功山寺。

なにげな~く見ていたお寺。

なにげな~く見上げた、高杉晋作の像。

その時、そこに偶然居合わせたガイドの男性が

観光客に説明している言葉が、耳に入ってきました。

それは、「男子たるもの、どう生き、どう死ねば良いか」と

問いかけた晋作に対し、松陰が残した言葉。

「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。

生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。」

(死んでも志が残るものであれば、いつでも死ねばよい。

生きて大事を為せるならば、いつまでも生きてそれをやればよい)

国の未来のために禁を破り、投獄された松陰。

後に松陰が処刑されることによって、晋作は怒り悲しみ、討幕を誓う。

う~ん・・・。

昔は藩を出ただけで投獄されたり、

考えを話しただけで罪になったりした時代だった。

今はどんな表現をしても、何を伝えても、

監獄に入れられることもなければ打ち首になることもない。

昔の人から見たら、ものすごく自由で幸せな時代だよね。

時代の違い、常識の違いはあっても、

何か新しいものを生み出そうとするエネルギーは

いつの時代もあるんだ・・・等と思いつつ門を出ようとしたとき、

門の手すり、木の杭の部分の傷が目に入りました。

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なんだろうこれ?と思っていると 

「これは長州の志士たちが気勢をあげ、

出発時に気合とともに切りつけた、刀傷の跡です。」

とガイドさんの声。

ふうん・・・、と通り過ぎようとして、

深く切りつけられた、幾筋もついた刀傷を近くで見た瞬間、

いきなり、強い衝動が飛び込んできました。

うっ・・・!って体が震えるくらい、ものすごい気合い一閃。

当時の気迫と覚悟・・・その臨場感。

「今、ここから日本を変えるんだ!」と奮起して、

この門をくぐり、倒幕に向かった志士たち。

全身全霊のほとばしるエネルギーのまま、

あるものは気合とともに切りつけ、

あるものは雄たけびをあげて、一気に振り下ろした力が、

この木手摺の刀傷から、一気に伝わってきました。

そうだ。

あの時、歴史を変えると誓った者たちは、

まさに今いる、ここ、功山寺で挙兵し、

今くぐっているこの門から、飛び出して行って、

本当に、日本を変えたんだ・・・。

一緒に来たメンバーは、もう先のほうに行ってたので、

私はのろのろ歩きながら、呆然として・・なぜか、急に込みあげて

ポロポロ涙が出てきました。一人で良かった・・・。

歩きつつも、木の杭に刻みつけられた刀傷が

頭を離れませんでした。

死ぬ覚悟をして時代を変えた志士たちに比べれば

どれだけ私たちは、平和な時代に生まれ、楽であることか・・・

昔と今。

ある意味、今は、再び変化の「時」。

幕末と同じ、大きな価値観の変動が起こる「時」だと思います。

繰り返し、

らせんを描いて上昇する時の輪が接する位置に、きている気がする。

うねるように、進化し続ける世界のエネルギー。

大きな時代の流れ、宇宙の流れ、

渦巻いてあがってゆくエネルギーの流れ、

「力」を感じました。

「力」っていうのは、それぞれが持っている「真実」。

それぞれが、本当に実感する真実を、

それぞれの立場で伝えていけばいい。

いまはもう、それだけで、いいのだ。

いまは一人ひとりの真実がすべて必要。

それは戦うことじゃなくて、みんな楽しくあるためのこと。

勇気をもって、とことん楽しむこと。

真実は、『楽しみ』のなかにある。

「自由」を作ってくれた彼らの次に、私たちがすることは、

「進化」なんだと思う。

またまた旅先で、思いもよらぬところに連れていかれた2月でした。

「力」を感じさせてください・・・って、

おお~。時を越えた、こういう形で来るとは・・・☆

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怒涛のシンクロ☆天川旅行☆

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2月1日~2月3日の間、天川に行ってまいりました。

新年、出雲とともに頭に浮かんだのが天川。

誕生日の前の日、急に直感で 

(あ、あした天川に行こう)と思ったのでした。

しかし今回、あまりのシンクロニシティの多さに驚愕。

前日、私はミネハハさんという方と会っていました。

ミネハハさんは、母が実家のブライダルのセントパトリック教会15周年

チャリティーコンサートでお呼びした関係で、仲良くさせて頂いてる方です。

ご飯食べてる時に

「明日天川に行こうと思ってるんですよ」というと

「天川!?あそこは大変よ~!!この時期は大雪だから。

バスもないしタクシーで移動したら何万もかかるわよ。」と教えてくれました。

とにかく、大変だからよく調べていった方がいいと。

でも帰ったら眠くてそのまま寝てしまい、

当日の朝、準備&宿さがし。

この時期、どこもかしこも3月くらいまで宿はお休みしているとこが多く、

やっと一軒見つけることができた時、

「今すぐでないと最終のバスに間に合わないよ!」

といわれ、あわてて飛びだしました。

直感なので名前以外分からず、場所の下調べもせず出かけたら

結局8時間以上かかって(**)着いたら夜・・・★

現地に着くと雪はなく、端に少し残っているだけでした。

しかし、これはこの時期、ありえないことらしい。

あとで地元の人に聞くと

「この時期にこんなに雪がないなんて、ほんとびっくりするね!

こんな、土が見えてるなんて・・・

だって数日前は何十センチも降ってたんだよ」

としきりに不思議がる、2月には稀な、暖かい日だったようです。

まず、最初の夜、バスに乗って宿に向かう中、

車内には私と、もう一人しか乗客がいませんでした。

その女の人とは電車から一緒だったのを覚えていたので、

「どちらからお越しですか~?」と、話しかけて友達になりました。

その人は大峰山の近くのある山で、毎年節分のお手伝いをしに

福井県からやってきている方でした。

私は天河神社については何にも知らずに来たので、

芸能の神様だということを、この時初めて知りました。

色々おしゃべりしてると、

「毎年、このあたりに○○(一応伏せ字)さんがいらっしゃるんですよね。

よくお話もしますよ~」という。

実は行く前にミネハハさんからも○○さんの話を聞いたばかり。

ミネハハさんも以前、天の川という曲を天川神社に奉納しているんですが、

○○さんのある漫画の歌も歌うことになっていたという繋がりがあったようです。

そして着いた宿は、大峰山に修行に来る方々が大勢で泊まる所。

なんでも室町時代から続く、伝統的な「修験者の宿」だったようです。

大部屋で雑魚寝形式だったためか大部屋が多く、

たまたま一つだけ個室が空いていて、そこに泊まらせてもらいました。

東京と違って身を切られるような寒さ・・・。

でもお部屋にはコタツが…♪わーい☆

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そして次の日、2月2日午後に何やら神事がある、というので

じゃあそれを見てから帰ろうかと思ってると、

下調べもせずに行ったので、

バスは1日3本のみだったらしく、帰れなくなり。

もう一泊することになったのですが、そのおかげで、

2日夜から始まる「鬼の宿(鬼迎えの神事)」

に参加することになりました。

そして急遽宿を探して決めたのが、去年できたばかりの

「一休(ひとやすみ)」というレストハウス。

ここでもすごいシンクロニシティが…。

「なぜ『一休』かっていうと、一休さんを作った人と親しいからなんですよ~。

いしぐろさん、とおっしゃるんだけど・・・」と女将。

「えっ…!?一休さんて、アニメの一休さんのことですか?

っていうと・・・石黒・育さんですか!?」

「えっ!?そうよ!石黒育さん!そうそう!」

・・・なんと、

私が以前、ケン役で出演していた、

『出ましたっ!パワパフガールズZ』の総監督でした。

こんな遠く離れた天川で、おソバを食べに何度もお邪魔している

石黒さんの名前が出てくるとは…!

Tenkawa

そして神事は深夜から始まるということを知り、

それまでの間、暖を取ろうとあるカフェに入りました。

しばらくそこの女将とお話してました。

私の話はいつもすぐに神様や宇宙の話になってしまうのだけど、

彼女はそんな話に抵抗のない人で、とても興味をもって聞いてくれました。

ポンとコズミックダイアリーのことが浮かんで

先日講師養成講座をとっていたこともあり

マヤの暦の話を出すと、

「ああ、コズミックダイアリーの柳瀬さんなら

時々いらっしゃいますよ。ダイアリーのお話も伺いました」

!!

洞川~天川も広いのに

たまたま決めた宿が、親しい石黒監督とつながりのある女将の宿で・・・

たまたまその時入ったカフェに、

先日まで一緒にいたダイアリーの柳瀬さんも来ていて・・・

東京から8時間以上も離れたこんな遠い場所で、

なんで知り合いの名前ばかり出てくるのか。

何だか目に見えない網というか、流れのようなものを感じました。

こんな風に立て続けに起こる偶然の一致は

「そうそう、そっちの方向でいいんだよ」

という見えない世界からの確認メッセージ。

きっと、エネルギーには層のようなものがある。

目的が近いと、ある程度同じエネルギーを踏まされるのかも。

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そして早めの15時過ぎくらいに行った天河神社。

暖を取るカフェもなにもない山奥なので、

最初は誰もいない本堂にいたのですが、

暖房はないので何時間もいるとすっかり冷え切ってしまい、

吹きっさらしでも焚き火のある下に降りて、燃える薪に当たっていました。

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ものすごい寒さ!体の全面をあぶっていても背中はすぐにキンキンに冷える。

だから焚き火の前でくるくるくるくる、ずっと回っていました(@@)

焚火の薪をくべる若い神主さんは、

「今日は暖かいですね~。」

…普段はどんなんだ!!

そして夜、6時半くらいからやっと人が集まってきて

「鬼の宿(鬼迎えの神事)」の神事が始まりました。

法螺貝、石笛から始まり、声明、祝詞、と儀式は進行していきました。

天河は神社なのに、神仏習合。

密教系の真言も多く、不思議な感じでした。

まず、弁財天、不動明王、役行者と、3つの真言がとくに大切にされてるみたい。

でもわかる気がする。

華やかに、クッキリ、ハッキリと形にして「表現」する力の弁財天と

厳しい、激しい、力強い、パワーのお不動さんと

集中力と、芯の強さと、異世界とつながった役行者と

ほんとにこの3つの力が混然一体となってる感じ。

神社の本堂での儀式が終わったら、今度は近くの宮司さんの社家へ。

ボォウオ~~ボォウオォ~・・・

法螺貝の音、石笛の音、真っ暗な中、修験者の方々と共に移動。

提灯の明かりで列を作って歩くさまは神秘的というか独特で、

百鬼夜行の異世界を彷彿とさせました。

家中の電気が消され、ろうそくの明かりだけで儀式は進行。

祝詞や真言も大詰めになったとき、

お布団が部屋の中に敷かれました。

前鬼の子孫といわれる宮司さんと鬼(神)が一緒にお休みするためのお布団です。

確かに空気が濃くなって、何かがいらっしゃった感は、ありました。

縁側のところには水の張った桶が置かれているのですが、

これは家にやってきた鬼が手や足を洗って上がってくるためのもの。

桶の底に敷いた半紙の上に『砂』や『土』が落ちていれば、

鬼(神)が来てくれたということになるが、

もし朝になっても砂が落ちてなかったら

日頃の行いが悪かったということで神様がいらっしゃらなかった

ということで、次の日の節分祭はとり行われなくなるとのこと。

この桶、最初縁側の外に置いておくんだと思っていたのですが、

部屋の中に置いておくそうです。

外なら風が吹いて砂が落ちることもあると思うけど

部屋の中では・・・。

そう簡単には砂や土なんて落ちないよね。

儀式の後は、おにぎりやお茶が振舞われる

直会(なおらい)があり、皆でお話ししたりして和やかムード。

終盤近くになると、宮司さんは再び法螺貝を吹かせ、

音と共に内側からふすまを閉めて、二つ並べたお布団で

鬼(神様)とともにお休みに…。

夜中近くになって終わった鬼の宿。

皆さん近くの民宿などに泊まっているので歩きだが

私は遠く離れた洞川・・・。

奇跡的にこのあたりに2台しかないタクシーを、

女将の顔で呼んでもらえて、帰ることができました。

その道中聞いた話によると・・・

昔は『鬼の宿』という場所が別にあって、一晩中祭事をやっていたとか。

そして夜通し神事を続け、

皆でいつ、桶の中に砂が落ちるか、見守っていたそうな。

あと、このあたりには8月3日に「鬼おどり」というお祭りがあって

村中で祝うらしい。

なんでも当時の天皇に、役行者(えんのぎょうじゃ)が呪いをかけている、

と濡れ衣を着せられ、島流しにあったそうだ。

それがおわって、役行者が村に帰ってきたとき、

鬼たちが小躍りして喜んだことから、

『鬼おどり』のお祭りが始まったという。

小躍りして喜ぶって・・・

鬼たちにとって行者は、身内、というか家族みたいなものだったんだなあ。

全国の節分は

「鬼は~外~!福は~内~!」

なのに、天川地方だけは

「福は~内~!鬼は~内~!」

なのも、

「全国で鬼が追い出されたら行くところがないだろう。

この村だけは鬼を迎え入れよう」という役行者の精神から。

なんだか再び、昔演じた陰陽大戦記の『ウツホ』を思い出した。

人間も、妖怪も、式神も、鬼も、すべては「大極の世」に生きる仲間。

陰陽入り混ぜ、人も神も同じく、共に存在するのがこの世界。

ウツホも最初、里で暮らしているときは

人も妖怪も鬼も関係なく、皆が心を開いてうち解けて、

仲良くなれるお手伝いができれば・・・って思ってたんだろうなあ。

うん。どんなに住む世界が違っても、本当は心には壁なんてないもんね。

空に国境がないように。

200902051113000

そして次の日…

最後に天河神社に寄って、昨日お話した若い神主さんに

「あの~、お砂は落ちてたんですか?」と聞くと

「はい…、皆で明け方確認しましたら落ちてました(^-^)」と。

不思議だなあ。

そして帰り…新しい企画の打ち合わせ前に

必要な本を買おうと、京都駅の本屋に寄りました。

そこで見つけたある漫画。

最初のシンクロで名前を聞いた漫画家さんのもの。

(プライベートに触れてるかもしれないので、あえて名前は伏せておきます。)

そういえば数日前に、テレビを見ない私がたまたまテレビをつけると

その漫画家さんが出ていて、

「もう結末は出来てるんです」なんて言ってたのを思い出したり、

その方もよく天川に来るのなら、もしかして柳瀬さんと知りあいだったりして…と思ったり、

行く前はミネハハさんから…、道中はバスの女性…と、

あまりにもずっと「○○さん」の名前を聞いていたので、

これは買えということだな・・・と買って、新幹線の中で読んでいました。

そこで心に残ったセリフが、

「人の言葉がなんの役にたとう。

風の心、  大地の思い、 水の魂に己が心をあわせればよい

そうすれば その喜びも 悲しみも  怒りも 伝わってまいりまする」

「山や川や 森や空は 誰が造った? 鳥や虫や魚は  誰が造ったのじゃ

空に輝く あの太陽は誰が 造ったのじゃ

我らとて 同じこと・・・同じものから うまれしものぞ

人間というものは つまらぬものじゃ

本当に大事なものがなにも みえておらぬ

髪の毛一本・・・爪一枚・・・

己で造ったものは なにひとつ なかろうに

われらのこの身は いったい誰が造りたもうたのか

我らは この身に 『宿るもの』」

「風・火・水・土

自然を動かす 生命のエネルギー

きっと あたりまえのように

わかっていたことなんだ!」

この人・・・、わかってる。

この人は本当に感じ取ってる、と思いました。

「この大都会にいる誰もが、○○○なんて 信じない。

信じられない。○○○の心と言葉も、

この現実の世界の前では なんのリアリティももたない・・・

おれに ○○○を信じさせてくれ・・!」

○○○は、いってみれば『神』のようなものだと思う。

なにか大きなものがいつも私たちを見守り、

育んでくれているという事実。

それを概念では理解しても、本当には実感できない現代。

まさにそんな現代人の状況を代弁しているセリフだと思った。

私が今までやってきたことも、これからのプロジェクトも、

押し付けない、自由な 『表現』 という形で伝えていくこと。

見えない世界や、神は 

「知識」では理解できない。

「悟り」の本をいくら読んだって「悟り」の状態にはなれない。

『感じ』 ないと、人は本当には、分からない。

だから、こちらが先に 『感じ』 ていなければ伝わらない。

言葉は感覚を越えることはできない。

だから演技も、コミュニケーションも、

本当に『感じ』ながら伝えなければ・・・。

個々が「実感」しなければ、到達しない。

真実は、個々が自由意思で 見つけ出すもの。

外側ではなく、内側の世界。

だから『真実』なのだ。

自分を偽ることはできない。

自分と神さまの、とても個人的な関係。

真実っていうのは、本当に美しい。

だから誰でも真実に触れると、涙を流すのだと思う。

表現には『こうでなければばらない』という形はない。

自分が、そう『感じて』いるのだからしかたがない。

その人の 感覚 に共鳴して、それを感じるとき、

形のないものを感じ取ろうとするとき、

それはテレパシーのコミュニケーションを行っていると思う。

そしてテレパシーの世界には、嘘はない。

ありのまま。

そのまんまだから、

隠すことも飾ることもできない。

時代はだんだんテレパシックになってきていると思う。

目の前にいる相手が、本当のことを話しているのかどうか、

分かる人が増えてきた。

だからこそ、本当に感じ、本物になるしかない。

偽りや嘘は、これからはどんどん消えていく。

真実しか残らない。

このことを話したとき、誰かが、怖いね…といった。

でも、それでいいじゃん、と思う。

真実以外、いらない。

これから来る世界は、私にとってはものすごく楽な世界。

変だったことが変ではなくなり、

外側ではなく、内側が表舞台に出てくる。

表面ではなく、本質の世界に戻っていく。

力(パワー)の意味合いも変わっていく。

すべての価値観がひっくり返っていく…と思う。

なんとなく、去年あたりから、肌でそう感じる。

内面がそのまま伝わるテレパシーの世界。

テレパシーの世界には誤解もなく、

すべてがあるべきところへ行き、あるべき真実の姿を得る。

真実っていうのは揺るがない。

すごく安心する。

真実は、宇宙の法則。

神様の住む世界。

だから、自分の真実に生きるってことは

「神様の考え方と同じになる」ってことなんだ。

だからサポートしてくれる。

だから奇跡が起こる。

これ以上ない強力なバックアップだよね。

だから、自分の与えられたセクションで

精一杯の真実を、自分の窓から届けたい。

たまたま買ったその漫画に、

まさに今私が伝えようと思っている真実を、別の形で見た気がしました。

人より多くの目に触れる『作品』という表現媒体をもつ○○さんに

「・・・くっ!やるな!?」(笑)と

良い意味で触発された帰り道でした。

楽しませながら「真実」を表現するって、素晴らしい♪

この後、天河で石笛吹いていた方が偶然私の友人の知人だったり、
コズミックダイアリーのメールに偶然○○さんの漫画の同じシーンが引用されてたり、
シンクロは続いていく・・・(^^;)

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現実化のスピード

現実化のスピード

最近、思ったことが現実になるスピードが加速している気がする。

今日は今年最大の満月、大潮の日。
すべての感覚も高まる日だ。

あまりセーブせずに、受け取っているメッセージを書こうと思う。最近ブレーキかけずにそのまま伝えても、理解して受け取ってくれる人も増えてきてる気がする。

たとえば、何かを思い描いてすぐ現実になるときと、そうでないときの違い…。法則のようなものを感じることがある。

本当にそれは科学的なほど正確にそうだ。

その法則とは、

現実をコントロールしようとしないで、「楽しむ」こと。

現実をある程度はコントロールできても、無意識に流れるような、数珠つなぎの現実化は起こらない。

楽しんでいるとエネルギーが上がる。

そして起こってくる事を楽しむことで、すべてに意味が見つかる。

本当は

求めている答えも、

手に入れたい情報や出会いも、
常に、常に、いつも周りにあって

その可能性の「種」は、
栄養をもらって芽を出すのを、待っている。

その「栄養」は、
【今を楽しむ】こと。

「今、ここにいることを楽しむ事」
「今、起こっていることを楽しむ事」
「今、目の前にいる相手を楽しむ事」
「今の状況を楽しむ事」

そして

「意味のあることしか起こらないという事実を信じること」


するとびっくりするくらい、一分一秒が楽しくなってくる。
ずっとゲームをしているような気分。

次は何がくるのかな?
どこに連れていかれるのかな?今、どこにいるのかな?迷路を抜け出す扉の鍵は、どこに隠されているのかな?

エネルギーっていうのは浸透圧のように、入り口が見つかれば流れ込み、同じエネルギーでそこを満たす。

そこに周波数を合わせれば、一瞬でつながる。

だから楽しいこととつながるために、楽しみ上手、能天気になればいいんだと思う。

科学的根拠のある能天気。
だから座右の銘は
「意地でも能天気」なのだ。

私はきっと、
この「楽しみ」を体現するためにここにいるし、分かりにくい見えないものを、分かりやすい形で表現するために、「私」として生まれたんだと思う。

みんなが分かる、見えない世界。みんなに伝わる新しい常識。

何で子供の頃からこんなにも見えない世界や神様のことばかり考え、伝えたくて、話したくて仕方がなかったのか、今はわかる気がする。

この世界の「制限」を経験するからこそ、
「乗り越え方」がわかる。
分かれば次へ伝えられる。。

宇宙人、なんてよく言われるほど変わりものだった私は、この世界を調査していたのかもしれない。


「私」という窓から見える真実がある。それは誰かの窓から見える景色と重なっているかもしれない。

でもそれをためらわず表現すれば、きっと誰かの役に立つし、全体がより真実に近付く。

いま、もし誰も分かってくれなくても、意味がある。
自分の中に積み重ねた真実は、魂が知っている。
体が、宇宙が覚えている。
神様が、見ている。

ほんとは分かってもらう必要さえない。誰も見てなくても、それは真実だと、
「すべて」が知っているから。

時がくればエネルギーは、必要なところに流れだす。

みんな宇宙の、自然の一部。
完璧なバランスの中、循環していく。

こっちが正しいと証明する必要はない。
相手が分かっても
分からなくても、
どっちでもいい。

自分がただ、真実の中にいればいいだけ。

私の真実は、みんなの真実。
こんなこと真剣に考える人間が実際にいる、というだけで、同じ種族としての可能性…道しるべになる。


みんなが真実に気付く、直感の世界はもう始まった。
その新しい世界では、みんなが自然に感覚的・テレパシー的に生きる。

嘘は消えていく。
真実だけが、残る。

表面の社交辞令や、いらなくなった古い習慣も、いつか消えていく。

本当に分かり合い、本当に分かち合い、それぞれがそれぞれの役目を理解し、効率よく動きはじめる。

不安から来る、自分を守るためのプライドではなく、
自分の「使命」に誇りを持つようになる。

誰かより上に出るためにここにいるのではない。

誰も見ていなくてもやりたいこと。

評価されなくても愛していること。

なにより自分の魂が喜ぶこと。

本当の自分は、本当にやりたいことを知っている。

それは誰にでも、突然、起こる。ある日、それを知っていたことに気付く。

だからもう、人の目なんかどうでもいいのだ。神様の目だけ気にしてればいい。
真実は、自然に真実に引き寄せられる。

とってもシンプルで
とっても楽ちん。

「楽しくあること」
「本当の自分でいること」


みんなが本当に見守られていると思う。

宇宙は、神様は、
いつもいつも、私たちに気付いて欲しくて、

常に常に、メッセージを送っている。

問い掛けさえすれば、どんな所にも答えはころがっている。

世界は教えに満ちている。
そして私は昔からずっとそれをみんなに伝えたくて、媒体として「表現」の道を選んだ。

言葉ではなく、真実に近い「感覚」で伝えたかった。

でも今は、直接伝えても伝わるような気がする。


わたしは今、この時を待っていたのかもしれない。


今年最大の満月の日に。

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祈り

祈り

急に予定が空いたので、
途中、自由が丘で降りてぷらぷらしてると、熊野神社があった。

何か呼ばれた気がして中に入ると、昼間なのに誰もいない。

鳥居が二つあって、そのまま一つ、二つくぐると、
その度一枚、2枚、と何かがはがされ、清められている感じがした。

子供の頃から変わらない、いつもの神様へのお祈りをする。

『私が私として、一番みんなの役に立てる方向、
わたしもみんなも一番楽しませることができる方向へ、
導いてください。』

そして奥の御神体を見た。
そのまるい、「鏡」の御神体を見たとき、ふと・・・

なんで鏡なんだ?

あ・・・そうか、

「自分」だからか

なんで自分に祈ってるんだ?

そうか・・・

祈りって、
“自分への誓い”なんだ

そう 思った。

鏡はじぶんを映す。

自分にだけは絶対に嘘をつけない。
つく意味がない。

昔から人はきっと、自分に誓い続けてきたのだ。

自分の中の最も尊い自分に。

自分の見える世界が自分の宇宙。
その宇宙の中で、自分は現実を作り出していく創造主。

自分が自分に許可したことは、現実になる。

責任もすべて自分が負う。
自分の想いや行動は世界に影響を与える。

自分のなかに神様がいて

神様のなかに自分がいる。

禅問答のようだけど、本当にそうなのだ。

自己顕示欲やプライドを満たすことは、
本当の自分の、真の望みじゃない。

本来の目的(意図)に向かいたがっている、
魂の道しるべなんだと思う。

私が最も私らしくあることを楽しんで、解放的であるなら、
誰かも、自分らしくあろうと思うかもしれない。

自分が真実の状態にいることで、スッキリ元気なら
触れ合う人も自分の元気を思い出す。

自分の一番良い波動で誰かを振動させれば、エネルギーが動く。

結局、癒しっていうのは、表現であり、
体現するときに起こるもの。

上から目線で『与える』ものじゃなくて、

いつもの自分の日常から『伝える』…伝わるもの。

何にせよ、一日に自分のエネルギーを使っているということは、
必ず誰かにエネルギーを伝えている。
私たちはそれほど敏感な存在なのだ。

誰かは誰かに伝え、

誰かは誰かから受け取る。

「表現はすべて形を変えた祈りだ」とある人が言った。
わたしもそう思う。

本来の祈りには、境界線はない。

自分にしか伝えられないエネルギー。

ちゃんと見つめて、生かしてあげたい。

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分かんないけど、そうなんだよ。

『分からないけど、正しいんだよ』

根拠はないけどそうだと感じることを、直感という。

無鉄砲ではなく、内なる声がそう言うとき。

頭で「安定」だと思っていたものを手放す。

すると、想像以上のフォローがくる。

見えない世界から。

逆に、納得する説明や保障、統計、安全を求めると、

直感から遠ざかってしまう。

それは、単にお金や立場を手放す、というのとも違う。

「あってもなくてもどっちでもいい」、という

執着のない状態にいることなのだと思う。

行動の根拠は、安全や安定や、人の目を気にしたものでなく、

「本当の自分が、真に求めること」

心からそうしたい、楽しい、と思えることであるといい。

みんなそうなれば、誰ともかぶらない。

少しずつ、好きなことって違うから。

みんな役目が違うから、

幸せを感じる所がそれぞれ違うんだと思う。

自分が楽しくあることが、結果的に一番人の役に立つ。

楽しいと行動する。

楽しみたいと思うと、常識を飛び超えられる。

楽しんでると、直感が来る。

みんなが楽しんで自分に正直になれば、

だんだん嘘が通じなくなる。

『直感』の世界に、『嘘』は必要ないから。

これからは嘘が当たり前の世界じゃなく、

真実が当たり前の世界になる。

でも大丈夫。

この世は楽しみのエネルギーで出来ている。

色んな宝物が隠れている、巨大なおもちゃ箱なのだ♪

頭のフタを開けて楽しまなきゃ、

時間がもったいないよ。

せっかく大人になったんだから、(なるんだから)

思い切り遊んで、楽しんじゃおう! 0(^-^)0

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アイデア×楽しむ=∞(無限大)

なんだろう???

8月から、色んな企画が立ち上がりまくりです。

自分で立てたのもあれば、外からのコンタクトもあり、

何?何なの?楽しい~♪って感じです。

自分企画の本格始動は来年からになりそうだけど、

何かの形でみなさまにお届けできると思います。

進めば進んだ先に何かある。

今までだってそうだったけど、

もっと力強く、見えない手にぐいぐい引っ張られてる感じ。

そう。楽しんでればこのワクワク感が来る。

先の心配もしないで・・・なんて考えもあるけど、

“信念”を持ってどんな時でも楽しむという、「意地でも能天気」は

実はこの上なく安全で、しっかりした考え方なのです。

だって思ってることは本当に現実になるんだもん。

これは、

今までの人間社会のどんな良識や統計より正確で、強力な

「宇宙の方程式」なのだから♪

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人混みでイライラしない考え方☆

駅の狭い通路の人混みや

ひしめきあって我先にと昇る階段やエスカレーター、

電車の乗り降りの混雑…

ラッシュの中、人に揉まれて

電車から押し出されながら、ふと思った。

「そうか、これは神様の心臓の鼓動なんだ」

どっくん…、どっくん…、どっくん…

一定の感覚を保ちながら、私たちを吐き出し、

世界を循環させる交通機関。

私たちは世界という、神様の体の中にいる。

そんな目で見ると、狭い通路も、押し合いながら上る階段も、

静脈や動脈、毛細血管だ。

私たちは一人一人赤血球や白血球、

いろんなエネルギーや役目をもった細胞。

一部でぶつかったり詰まったら、

空いてるトコに自然に、しなやかに、流れればいい。

一つの抵抗がなくなると、まわりも自然に流れだす。

元気のない部分には栄養と酸素を運ぶ。

いつも柔軟に、流れの中でエネルギーを伝えて生きる、

一つの細胞でありたい。

人混みが教えてくれた

宇宙の真理。

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空

「そら」…  「くう」…。

空白   空間   空っぽ

 色即是空   空即是色

文字通り、空を見ていると

心が空(くう)に…

空っぽになる。 

現実だけど、

現実と直接関係ない「空」は、

日常の合間に自分を映して我に返る、スクリーン。

見上げればいつもそこにあり、

どんなときも見守ってくれている。

.

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目隠しと独占欲

「独占欲」って、「恐怖」 から生まれるのかな、とふと思った。

捕まえておかないと離れていくかもしれないから。

しがみついていないと安心できないから。

それはもしかしたら、

一人故郷を離れて、肉体をもって生まれてきた

さみしさの感覚なのかもしれない。

切り離される不安。

一つだったところから引き離される分離感。

どうしても目に見える世界では、人も物も

別々に存在して個々の世界のように見える。

でも、直感のレベルや、夢、感覚の世界では、

やっぱり今も繋がっている。

朝起きて目をあけると、

私たちは同時に目隠しをするようなものだ。

目をつむって、大変な回り道や苦労をしながら手探りで進む。

でも、そうやって「制限」を経験して、より磨くために、

私たちは生まれてきている気がする。

以前、丹波さんと話した時、全く同意見で驚いた。

表現は違うけど、同じものを感じていてホッとした。

彼は、人間の体は衣服の着替え、

車の乗り換えと同じだと言っていた。

私も、宝物を積み重ねる場所は、

この世基準ではなく、魂基準だと思う。

服や車は古くなったり壊れてしまう。

魂に重ねたものは決して消えない。

見つけた「新しい感覚」は、少しずつ目隠しを外してくれる。

すべては誰の物でもなく、あるべくしてそこにある。

どこにもいかない。

それによ〜くみると、根っこは繋がってる。

もともと繋がってるものを自分の物にする必要はない。

自分の右足を自分の物にしようとして抱え込んだら、

歩けなくなっちゃう。

私たちは切り離されてはいない。

一人なようでも、見えない所ではそうじゃない。

すべて感じあって生きている。

怪我をしたら、そこに白血球やエネルギーが自然に集まる。

バイ菌が入ったら、自浄作用が起こる。

腕を鍛えたら、そこに新しい細胞や筋肉が集まる。

世の中で起こってることって、体の中で起こってることと、よく似ている。

私たちは何だかんだいってても、

生命という巨大な体の中の一部なのだ。

体の表面の細胞か、内面のどの部分か、なんて

どっちでもいいことだよね。

“自分”なんだから。

2連チャン。満月(大潮)だったからかしら?よく来るなあ。

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カッコ良いかカッコ悪いか

そんなことを基準にして動くのはもう古い価値観。

そんな基準に行動を左右されていたら、「真実」は見えない。

安全か危険か?常識から外れてないか?どんな評価をされるか?保障はあるか?儲かるか儲からないか?

結局、
仕事選びも人生の選択も、
人の目や安定を気にしていたら、どこに行こうが何をしようが、いつまでたっても前の常識のまま、世界はとどまる。

これからは

「楽しいかどうか」
「幸せかどうか」

が基準になるといい。

ただし、借り物じゃない感覚「本当の自分」が、感じて、見つけて、膨らませなくちゃ。お、エネルギーも一緒だ。深い…。


時代の空気はとっくに変わってる。
手放すのは自分の宿題。

しあわせかどうか。
たのしいかどうか。


本当に、感じていること。

「新しい生き方」提案。

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神様の目で見ること

以前、直感はどんな風に来るのか?という質問を頂きました。

私の場合は、感情的な部分を超えた、強い衝動です。良いとか悪いとか、後先何も考えず、ただ「そうせねば!」っていう感じで来ます。

そのあと、色々ポジティブな気持ちとか思いが追い付いてくる。

よく分からないけど、とりあえずいつも自分をニュートラルにして、偏見をもたないようにしてます。自分の考えも、思い込みじゃないか、人の意見や外の情報じゃないかスキャンして
「純度100%の自分」でいるように、子供の頃から心がけてます。

だって、いつも本当の自分でいたいし、上からのメッセージを、勘違いしたり変な方向にとらえたくないし。

直感かそうでないかを見分ける方法…というか、純粋なメッセージのみを受け取る為に、私はいつも

「真実以外いらない!」

と思ってます。
私にとって、本当に一番必要なものしか入ってこない。…それを信用してる。

表面の私がその時どう感じようが(失敗or成功)、私にとって一番良い経験を知っているのは上↑なので、
「必要なことしか起こさない」=「起こることはみんな良いこと」、なのです。

だから私に出来ることは、いつも純度100%の自分でいること。
借り物の意見じゃなく、思い込まされた幸せじゃなく、
「本当の私」が感じること。「本当の私」が欲しいもの。
それ以外いらない!入ってこない!と、決める。

決めるとそうなるんだよね。

失敗しても、
ひどい思いをしても、
「何を伝えようとしてるんだろう?」「何に気付けばいいんだろう?」と思って正面から向き合うと、何かを掴める。

その経験でしか深く考えられなかった気付きや、素晴らしい贈り物がある。


子供の頃、悲しいことがあると、「神様は私のことが大好きなのに、なんでこんなこと起こすんだろう」と不思議に思ってました。

小5の時、そっか〜起こることはみんな良いことなんだ!と気付いてからは、
「神様とのゲーム」を楽しんでいます。

何に気付けっていってるのかな?おっと!この経験で私が怒ると思ったでしょ。こんなことじゃ怒んないよーん(笑)怒ったら負け。絶望したら負け。はい、もう一回。

相手を憎むより早く真実に近付いて、効率が良い。自分もさわやか。

勝率が上がると、レベルや難易度も上がってきます。
でも本当に起こることに意味を見つけられるようになって、自分の感情や常識を超えて「みんなにとって一番良い結果」を望むようになると、思わぬところからヘルプも来る。

まあ、その時すぐこなくても、神様に信頼された感じというか、喜ばれた感覚が、普通に嬉しい。神様の視点にもっと近付きたい。

勘違いの偽善者や陶酔した一人教祖にならないために、ここで効いてくるのが私の場合、

「真実以外、いらない」です。

神様…宇宙…集合意識、なんと呼んでもいいけど、その視点から見たら

勘違いか真実か、
偽善か愛か、
見栄か本心か、

そんな事は一目瞭然。

それはただ、そこにある。どうせなら回り道せず、真実が欲しい。
神様の目で見ても恥ずかしくない自分でいたい。

これからはきっと真実しか残っていかない。みんなが直観的になってきているから。

常識やプライドは色んな目隠しになってくる。
だから別に変わっててもいいや☆と思うようになった、最近の私です。(笑)


マヤの暦、ギャラクティックバースデーについて質問された方が何人かいらっしゃったのですが、「コズミックダイアリー」をネットで調べたら自分の生年月日で調べるページがあるのでそれて割り出せますよ。


うゆさん、覚えてますよ〜(^-^)心配してくれてありがとう。本館HPはビルダー紛失のため、更新できないのです。知らない人には伝えてくだされ(笑)

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親戚のおじさま

親戚のおじさま

というくらい、考え方から感じ方まで似ている人と会ってきた。…魂の親戚のほうね。

同じグループって、会っただけで分かるって本当だなと思う。

彼の名前はヒューレン博士。話し掛けると、私をじ〜っと見つめて
「 Oh〜、you〜…」と言った。
「ああ〜君か…」って意味?
もちろん初対面です。
何を感じたんだろう。

しかし分かりにくい「あの」感覚を、体系だてて、テキストに起こしていることが素晴らしい。でもよけいな説明はほとんどない。今は確かに誰にでも開かれた時代。多少分かりにくくても、真実をそのまま突き付けたほうが、分かるようになっていくのかもしれない。

ヒューレン博士は、しくみや意図についての質問にはあまり答えない。確かに、みんなに分かりやすい言葉で説明すると、どんどん真実度が下がってしまう。

「真実」に対する、個人的な質問に答えたら、それは「全体」に共通するものではなくなる。

だからきっと、答えられるけど答えないのだろう。

個人にとっての「真実」は個人にしか分からない。


言葉じゃなくて、感覚、テレパシーで聞かないとわからないことがある。

言葉にできない「感じ」を無理やり言葉にするんだから仕方がない。

どんなに親しい友達にも、どんなに長い時間一緒にいる人や、両親にも、思っていることは100%そのままは伝わらない。言葉では。
この文章だって、一番近い言葉をひねり出してるだけだし。

ただ、真実は一つしかない。
でも、それを見る窓は無数にある。感じ方は一人一人違うし、スイッチボタンも違う。

だから最終的には自分の窓、一番良いやり方を見つけて、「感じ」て「繋がる」しかない。

彼の伝えるホ・オポノポノは間口がとても広いし、自然体で好きだ。自然や他者への深い敬意と一体感がある。「自分だけは」という特別感・分離感と正反対の所にある。

そう、この「当たり前感」、「一体感」なのだ。


不平等、弱肉強食に見えるのは物質の世界だけで、そのまわりを包んでいる見えない世界は全部意味があって繋がってるし、これ以上ないほど正確に平等だと思う。

平和は自分の中にある。自分の中にしかない。それはすべてを引き受けることであり、同時にとても勇気づけられる事実だと思う。
そういえば、Maron「運命の神さま?」に似たようなこと書いた気がする。

同じ真実でもそれを映すレンズはたくさんある。ただ自分なりに、いつも出来る限りクリアに映す窓でありたい。

みんなが誰かの役に立っている。


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自由の鍵

「すべての安全と安定は、外ではなく、内にある。

すべての人の心の中には、ユートピアを開く自由への鍵がある。」

朝の瞑想で受け取ったこと。

楽しみの目で世界を見る。

それが世界を楽しむ秘訣。
すべては自分発信だから。

前に富士山で受け取ったことと同じのが来た。

「楽しみの目で世界を見て、
親しみの目で人を見て、

喜びのままに未来を見なさい。」
神様はいつも見ていてくれる。


こういうこと言いすぎると、巷では「電波」って呼ばれるらしい。
でもなあ。そう感じるんだからしかたがない。真実だから。

考えてみれば確かに、電気も目に見えないし、これも目に見えない思考の波…というか、エネルギーの周波数なんだろうから、そうかもね。

自分にとっては、それが神の声だろうと内なる自分の声だろうと同じ事。

真実の中にいるとき、

自分は神様の中にいる。

ありのままの自分と向き合ってるとき、

神様は自分の中にいる。

誰かが「これが神の言葉だ」というと宗教になる。

自分の頭で考えず、そのまま鵜呑みにすると、依存になる。

みんなレンズが違うのだから、自分で見たほうが話が早い。

もう今は、一人一人が「感じる」時が来ていると思う。もっと普通のことだし、みんなもう、そのレベルの中にある。自分が直接感じれば違和感もない。

ある時急にフッと気持ちが軽くなってポジティブになることあるよね?その瞬間、あるエネルギーの層というか、周波数にアクセスしてるんだと思う。
いつか科学的に証明されないかなあ。早くみんなサイキッカー(笑)になればいいのに。

長いあいだ閉じ込められてた箱の蓋は、もうとっくに開いている。

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いま、楽しくあること。

初の一日3回更新☆

同期の徹ちゃんと真千子の客演している劇団大富豪を見てきた。

とても笑わせてくれるし、感動させてくれるお芝居だった。私もやりたいって思っちゃった。そう思う舞台って、良い舞台なんだよね。
みんな見るたびに上手くなってる。…なんだかうれしくなる。

そうだよね。積み重ねてることは、必ず形になって表れる。

心と芝居は、磨いても磨きすぎることはない。私も私なりのやり方で、もっと追求していこう。

「一瞬一瞬を感じて、楽しくあること」
いつも自分が言ってる事と、この劇のテーマは、偶然まったく同じだった。

(それでいいんだよ)って上からの確認メッセージ。

了解。
このまま行くね。

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感じて、今ここにいること。

なかなか毎日更新っていうのは難しいな…。のんびりだし。
私は、起こったことより、思ったことを書くことの方が多い気がする。

この間、妹と話していて「良い子でいたい、という無意識の束縛がある」という話を聞いた。

良い子でいたい、嫌われたくない…。でも、「良い子」て結局どういう子なんだろう?いわゆる一般的に言う良い子って、実像がぼやけている気がする。

何で嫌われたくないんだろう?
まわりと仲良く調和を保ちたいから。
じゃあ、なんで良い子でいることが束縛になるんだろう?

本当の自分じゃないから。

それは当たり前だとおもう。
そんな実像の掴めない「良い子」と自分が重なるはずがない。
生きてないもん。

「偽りの自分」になることに何か意味があるだろうか?

自分の形があるのに、脱け殻にわざわざ入らなくてもいい気がする。かえっていつまでたっても、真実の自分を評価されることはない。

変でも、周りと違っていてもいいと思う。心があるなら。

「“そういう”もんじゃない」「常識はこうだ」と振りかざしはじめたら思考停止は始まっている。

“そういうもん”ってどういうもん?不特定多数の知らない人の考えなんて、よく分からない。
真に自分の中から出たものじゃないと、響かないし意味はない。

心を込めたことが、偶然、形式と同じ形をとるなら、それはそれでいい。

結局、「〜でなければならない」っていう制限や古い観念が、自分も他人も不自由にしてるのかも。もう世界は自由だし、なんの制限もない。

心のない「形式」は、
見えない世界の存在たちから見たら、きっと一目瞭然。

いつも感じて、そこにいれば、形なんか自由でいいんじゃないかな。

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ホトケ祭り

ホトケ祭り
ホトケ祭り

「今日は彼岸の中日じゃけぇ、大仙さまに、全国のホトケが集まるんじゃ。ホトケ祭りじゃ。」

お彼岸におばあちゃんちに泊りにいったら、朝からひっきりなしにゴーン…ゴーン、と鐘の音。

どうやら近くの大仙院というお寺で毎年ホトケ様をご供養するお祭りがあるらしい。

お婆ちゃん曰く、宗派は関係なく、全国のホトケ様がここに立ち寄るそうだ。

大仙院には一度もお参りしたことないので行ってみた。門に鐘が付いていて鳴らして入る。

ペラペラの木のお札に経文が書いてあって、計6枚、上から柄杓で水をかけて、ご供養する。なんで6枚なのかというと、「六代前から六代先まで成仏しますように」とかいう意味があるらしい。

宗派とか宗教関係なしに、自分なりのお祈りの仕方でいい、というのが素敵だな、と思った。

そうだよね。
宗派とか、しきたりとか、礼儀作法とかマナーとか…国によっても違うし色々あるけど、結局、最初にあるのは人の心だもんね。

まず、心があって、作法や形式ができる。形ばかりを重要視していると、心が抜ける。そんな「形式」なら、むしろ必要ない。

先祖供養、というのも最初はただ、感謝から生まれたものなんじゃないかと思う。
命がつながっているっていう有り難さ。○○家、とか関係なしに、「命」という意味で遡れば、みんな親戚だもんね。

おばあちゃんちで白い彼岸花を発見。すごく綺麗なのでパチリ☆お彼岸辺りに咲くから彼岸花。他に、マンジュシャゲとかいう呼び方もありますが、昔から笠岡では

『キツネんばら』
と呼ぶらしい(?_?)

…“ばら”…?

原?腹?

さすがは、キツネ化かされ被害&狐火目撃多発土地(^o^;

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シンクロといえば・・・

パソが壊れている間、世界妖怪会議に行ってきました。

場所は日本の京都太秦映画村なんだけどね。

私は子供のころ妖怪を見たことあって、

その時から水木しげるさんを知り

同じ感覚の人いたんだ~、とすごく安心したわけですが、

そんなわけでゲゲゲの鬼太郎も大好きです。

で、何度か鬼太郎に出させていただいたご縁で

妖怪会議に同行しました。

鬼太郎関係はまたまとめるとして・・・

最終日、なんだか急に、とても竜安寺に行きたくなり、

一人別行動で石庭を見てきました。

京都の美大に行ってたのですが1度も見たことありませんでした。

Sekitei_2 

入ると、ザ~ッと風が吹き、人がいっぱいいるのに、とても静か・・・。

Sekitei3

騒がしく入ってきた学生も、ここに来るとみんな

この清浄で静かな空気に反応して、徐々に沈黙。

座って石庭を見つめ始めます。

すごく不思議な空間。

ただの石の庭なのに、すべてがここにあるような・・・。

閉鎖されているのに、すべてと繋がっているようなこの場所で

1時間ほど瞑想しました。

どこから吹いてくるのか、たえず涼しい風が流れていました。

すると見つけたこの屏風。

Ki

「 通 氣  」

き、つうず、と読みます。

寺西乾山という方の書。

『通ず、は「とおる」とか「かよう」の他に、「つらぬく」「ゆきわたる」の意味がある。

次に 氣 は、「きもち」など心の働きの意味から

「ちから」「いきおい」、更には

「万物が育つための根源力(生命力)」或いは

「宇宙の万物を生成する霊的な質」といった意味がある。』

とありました。

ああ、だからこんなに 「氣」 持ちがいいのか。

ここには素晴らしく清浄な 気 が流れている。

気が通ってる所には風も流れるからね。

最近になって「スピリチュアル」とか「精神世界」という言葉が

メディアにもあふれ出しましたが、

昔の日本人はそんなことは肌で感じ、

日常生活に馴染んでいたと思います。

ただ、物があふれて時間に追われて、少し感覚が遠のいてただけ。

特別感を得るためとか、

現実逃避のためにスピリチュアルな世界があるのではなく

「真実を見つめて、むしろ根源に還る」こと。

現実主義な人ほど、真実に近ずく時は早いと思う。

もっと、普通のことなんだよ。

外じゃない、今、ここにあること。

魂が喜ぶことをして、いつも本気で楽しくあること。

非日常としてとらえると、実感が遠のいてしまう。

そう、だから絵本でもなんでも、私の表現のコンセプトは

当たり前にスピリチュアル』なんだよね。

24時間、それは周りを包んでいる。

なんで、シンクロなのかというと、

偶然私の妹が、数日前(!)に竜安寺の石庭に来ていたのです。

いつもは福岡にいて、絶対そんな所に行くことないのに。

そして偶然、私の友人も最近ここを訪れていて、

さらにはなんと母も、数年前ですが、フラッと一人で偶然

ここに来ていたそうです。どこなのかも忘れていたそうですが

なんで分ったかというと、この知足の蹲踞(つくばい)。

Taruwosiru

上に「五」とか「矢」とか不可解な漢字が並んでいるように見えますが

これは真ん中の□を「口(くち)」として時計回りに読むと、

「吾、唯、足、知 」(われ、ただ、たることをしる)となるのです。

これを覚えていたのでした。

「知足の者は貧しくとも富めり、

不知足のものは富めりといえども貧し。」

知足の心は釈迦が説いた仏教の精神です。

これは茶道の精神にも通じているので、

人は昔から「物質以外のものによって心も満たされる」

ということを知ってるんだよね。

別に貧しくなくちゃいけないわけじゃなくて、

「永遠のものがある」「なんでもここにある」っていう実感や、

「安心とか幸せは自分の心から始まるんだよ~」ってことを忘れないこと。

西洋の「清貧」の心もその精神性を言ってるんだと思う。

時代というのもあるので、昔は本当に貧しかったり、制限があったと思うけど。

せっかくなので、とった写真紹介しました。

妖怪会議はまたの機会に・・・☆

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銀河の誕生日

Caxs8sb6

昨日は各地でお祭りだったみたいですね。お祭りは神様と遊ぶ日…。

あらら、考えてみれば昨日は私のギャラクティックバースデーでした。

ギャラクティックバースデーとは、

マヤの暦でいう「銀河の誕生日」です。

図らずしもブログ解説がその日になるとわ・・・☆

そしてくーさん、お知らせありがとうございました。

2~3行ちょろっと触れてくれれば…っていったのに、

まあ、あんなに大々的に…☆ 感謝です。

心配のメール下さった方々、ありがとうございましたm(__)m

データがメーカーから戻ってきたので、全部拝見しました。

私は元気です。声のお仕事も辞めません(笑)

それどころか色々たくらんでいます☆

フリーっていうのは「自由」っていう意味でもあるので。

事務所を辞めたのも、

究極的には、大きなことではないようにも思います。

だって、同じ世界にいる限りみんな繋がっていて、

何かを伝えるために物を作っている、仲間だから。

一度触れあえば、もう切れることはない。

人の繋がりはそう簡単に消えるもんじゃありません。

ただ、私はとてもうっかり屋さんで計算も苦手なので、

それだけは大変ですが(笑)

最初はただ、種まきかなあ。

でも、「良いもの」も「悪いもの」も、

これから完全に自分が撒いたものが返ってくるのは、本望です。

自分にしか歩めない道。

どうせなら楽しんでいこうと思います♪

これからもよろしくね☆

あ、そうそう、こちらが本館のHP「Horse&Hatook!!」です。↓

http://www5f.biglobe.ne.jp/~tinowa/

こちらのメールフォームでも、メッセージ&お仕事の依頼(笑)

受け付けてます。

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